中島さんに同意できません〜

Life is beautifulの中島さんのエントリーに
ブログを利用して日本語から言葉を一つ消すことができるか?というものが
ありました。

私の意見に賛成していただける方々に、ブログエントリー、ソシアルブックマークなどの形で、
上のCNetのエントリーで述べた私の意見に賛同する意思を表していただくようにお願いしたい。


と、あったので、同意しない意思を表すのもどうかと思ったんですけど、書いちゃいますね。


同意できない理由は2つあります。
1つはセンセーショナルなタイトルに対する脊髄反射です。
言葉を消すという行為というものに違和感を感じます。またblogosphereを用いてその事を
推進する手法にも疑問を感じます。
もちろんこれは中島さんの実験だと言うことは承知しているので、是非の云々は述べるつもりは
ありません。むしろ大いに色々な人々を巻き込み様々な意見を表出させるべきだと思います。
そして2つ目。
2つ目は日本語のテキトーさです。中島さんは「ユビキタス社会」という言葉に対して「ユビキタス」と
言う言葉(偏在、IMEの解説によるとどこにでも存在する、みたいですね)と「社会」と言う言葉を
くっつけたら、おそらくこの言葉を使用している人たちが考える意味にはならない。
よってこの言葉をなくしてしまおう、と述べられています。
でも、日本語って、と言うより言葉ってテキトーなんですよね。時代によって意味は変わるし
Aという言葉とBという言葉をつなげたからって意味がA+Bになるとは限らないこともあるんです。
学術用語や技術用語だとその言葉の意味というのは厳密に保証されないとコミュニケーションが
円滑に出来ない場合があるのですが、一般的な用語、特にハヤリ系の用語に関しては
そこまで厳密でなくてもいいと思います。むしろ厳密ではないほうがコミュニケーションは
進むと思われます。厳密でない言葉のコミュニケーションと言うのは雰囲気のやり取りになる場合が
多くなります。コミュニティが違うと疎外してしまうかもしれませんが、関係が深まれば深まるほど
分かり合える、もしくは分かり合えた気になれます。


最近の若者の言葉の乱れ、というそれこそ遥か昔から言われてきているもの、に関しても以上の理由から
寛大であるべきかなと、少なくとも僕自身は寛大でありたいと思います。実際言葉の乱れと言うものは
言葉の進化の途上(進化自体いつでも途上ですが…)であって、それを言葉の乱れと言うのならば
サルが人間になった(コレも厳密に言えば違うかもれ知れませんが…)のは進化の乱れと
言うべきかもしれません。(ま、コレも乱れ⇔進化と前者では使用しているのに後者では進化&乱れに
なってしまっているのスマートじゃないですね。ホントは進化に変わる言葉を使いたかったのですが…
思いつきませんでした。)


閑話休題
日本語から言葉を消すのは、結局は流れに任せるしかないと思うんです。本当に必要の無い言葉だったら
自ずと消えていきます。逆に多少理屈がおかしい言葉でもコミュニケーションに必要だったら残ります。
言葉自体も最適者生存ですね。ただ、ある集団(blogosphereを含む)で誰かが「この言葉いらない!」って
表現するのも、流れの中に存在するんですよね。だから「消す」というのは少々傲慢で、本来は「消えて欲しいな」
くらいがちょうどいいと思いますね。


結論。
言葉って難しい!!